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第四回南方熊楠ゼミナール 「今、南方熊楠が発信するもの 〜21世紀へのメッセージ〜」

シンポジウム・パネリスト報告要旨

田村義也     

 南方熊楠の仕事と思想についての私たち熊楠研究者の理解は、南方熊楠邸の未公開資料の調査を進めるなかで大きく改まろうとしています。

 熊楠といえばかつては、市井の世界的学者にして、世界中を彷徨した奇行の人という俗耳に入りやすい評判記的人物像が流布していました。そうした「変人」像は、酒の上での放談など彼自身に由来するところも大きいと思われ、そして、彼自身の言動と周辺資料をていねいに検討することで熊楠の実像を描き出そうとする諸家の試みによって、すでにかなり改められています。しかし、彼の研究業績や思想については、そうした熊楠像の変容がこれから起こりそうなのです。

 そのことを邸資料調査メンバーに予感させているのは、なによりもまず南方邸に残された資料体そのものです。たとえば、没後半世紀間、ご遺族により慎重に守られてきた熊楠の遺品の中には、正しく判断できる研究者の評価を受けることがほとんどなかった生物資料多数が多数含まれていました。熊楠が那智山、高野山、水上や妹尾といった和歌山県下の各地で生物観察・採集を行っていることはよく知られていますが、それが隠花植物(藻類、蘚苔類)及び菌類(変形菌、キノコ類)にとどまらず、高等植物及び昆虫の観察・採集も相当量に及んでいたといったことは、そうした邸資料の調査が進むまではほとんど知られていませんでした。しかも、風化・虫害により(残念なことに)原形をとどめてはいない昆虫標本のように、失われた原資料を生物資料調査班が推測再現することによって、熊楠の広範で先覚的な野外観察の輪郭がはじめて示唆されるようになった例もあります。これらは、文章となって世に問われるには至らなかった熊楠の膨大な生態調査活動の、おそらくは片鱗にすぎません。

 熊楠の読書と思索については、困難はさらに大きなものがあります。熊楠が刊行された自分の文章にびっしりと毛筆で書き込みをして、増補・改訂を施していることは、周囲の人々の証言や過去二度の全集刊行時の調査などから伝えられていました。そのことだけでも、精査には(やりがいはありますが)膨大な労力が求められます。しかし熊楠の蔵書を丁寧に調査していくと、購入した図書はかなり高い確率で一度は目を通し、書き入れをしていること(蔵書を読了している比率自体、まねのできない高さです)、それは、結局彼の著述に役立てられる機会のなかった図書(例えば晩年に購入した中国書)であっても同様であることなどが、次第に明らかとなってきました。そのことは、蔵書調査を進めている文学・歴史学の研究者たちにとっては、一種脅迫的な驚きでした。熊楠の思想の全貌を論ずるには彼の蔵書の全体像を把握しないといけないとは、調査を始めた当初から蔵書班が考えていたことでしたが、その広さと深さの双方についての困難さの実感が、調査の進展と共に深まりつつあります。そして、そうした図書や生物資料にもまして評価の困難な、さまざまな資料(自筆草稿、研究資材、生活材など)が慎重な検討を待っています。過去に公にされた文献(和・英文の著述、没後刊行された書簡や菌類図譜、家族及び周辺の人々の回想)によって形成された熊楠像は、こと彼の研究と思想に関する限り、一から考え直す必要がある、そういうほとんど絶望的な気持ちから、邸調査メンバーは現在、まず彼の日記を正しく読む努力をはじめています。

 自然保護思想についても熊楠は先覚者であったといった具合に、その時々の流行思潮を熊楠と結びつける指摘は、ほとんどの論点について過去に一通りはなされているようです。しかし、思想家・研究者熊楠の姿を正しく理解することそのものが今始まったばかりだと私たちは考えています。南方邸の資料が研究者に広く公開され、あらたな検証を受けることで、新しい熊楠像が姿を現すと共に、世紀を越えた彼のメッセージがはじめて伝えられることが期待されています。

参考:「南方熊楠蔵書目録刊行のご案内」『熊楠研究』6号掲載、2004.3)

2003年11月23日、ガーデンホテル「ハナヨ」(和歌山県田辺市)アリーナにて。

南方熊楠ゼミナール(南方ゼミナール)は、(財)南方熊楠記念館南方熊楠邸保存顕彰会(田辺市教育委員会文化振興課内)および田辺市の共催で1997年より隔年開催されています。


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